本メルマガは、IoT価値創造推進チームのリーダーである稲田修一が取材を行ったIoT導入事例の中から、特に参考となると感じた事業や取り組みを分かりやすくお伝えする見聞記です。
今回は、手術支援ロボットの遠隔操作に挑戦している神戸大学、株式会社メディカロイド(本社:神戸市中央区)、株式会社NTTドコモ(本社:東京都千代田区)の3社の取り組みとそのベースとなった戦略を紹介します。
メディカロイドは、総合重工業メーカーの川崎重工業株式会社(本社:東京都港区及び神戸市中央区)と、臨床検査機器及び検査用試薬メーカーであるシスメックス株式会社(本社:神戸市中央区)の共同出資により設立された会社です。川崎重工業の産業用ロボット技術とノウハウ、シスメックスの医療分野で培われた知見とネットワークの掛け合わせによる、医療用ロボットの開発・製造・販売を目的としています。
【ここに注目!IoT先進企業訪問記(61)】
勝つための戦略を立て実行する-新たな価値を持つ手術支援ロボット「hinotoriTM サージカルロボットシステム」の開発
1. 開発のきっかけはダヴィンチの特許切れ
米国インテュイティヴ・サージカル社が開発した手術支援ロボットのダヴィンチは、億円単位の導入費用がかかるにもかかわらず、世界シェア7割程度の圧倒的な地位を築いています。医師が内視鏡の画像を見ながら、ロボットアームに取り付けた手術器具を操作して手術するのですが、狭い体内で手術器具を様々な方向から動かすことができるため、従来の方法では困難度が高かった手術が簡単にでき、結果として患者への負担が少ないからです。
このダヴィンチの基本特許が、2019年頃から徐々に期限切れとなっています。このため、この分野に参入が相次ぎ開発競争が加速しています。メディカロイドが2020年12月に発売した手術支援ロボット「hinotoriTM サージカルロボットシステム(以下、hinotoriTM)」もその一つです(手術支援ロボットとその操作のイメージは図1参照)。2015年から多くの医療機関の協力のもとで開発を始め、5年で商用化に漕ぎつけています。日本人の体格に合うようにロボットを小型化し、スマートなロボットアームなどの特徴を有し、ダヴィンチの置き換えや新規需要を狙っています。このhinotoriTMの開発は、良く練られた戦略に基づいて実施されています。
図1:手術支援ロボットとその操作のイメージ
(神戸大学医学部附属国際がん医療・研究センター 山口雷藏教授提供)
2. 新たな価値は匠の技の解析と遠隔医療
占有者のいる市場に新規参入者が食い込むには、医療現場のニーズを踏まえた新たな付加価値が必要です。もちろんロボットが使い易いこと、競争的な価格であることも重要ですが、ここで神戸大学とメディカロイドが着目したのは、匠の技の解析と遠隔医療という今後想定されるニーズでした。
執刀医の動きをデジタル情報として蓄え、集めた情報をAI等で解析することにより新たな価値創出が可能になります。まず、手術の技能を評価し、その向上のためにより的確に医師を指導することが可能になります。匠の技を効果的に伝えることが可能になるのです。また、優れた技をAIに覚えさせ、ロボットが医者の手術を支援することが期待されます。将来的にはロボットが定型化した手術の一部を行い、医者は手術の難しい部分に集中できる可能性もあります。これは医者の負担軽減や医療の質の向上に大きく貢献すると考えられます。
遠隔医療に関しては、コロナ禍でその必要性が一気にクローズアップされました。我が国では医療の地域格差が拡大しており、医療施設、医師、高度医療の都市部集中が進んでいます。地方では医師不足が顕在化しており、若手医師の教育機会も減少しています。この格差を埋めるため、今まではロボット支援手術の技術を持っている医者が手術する病院に行って指導していたのですが、これがコロナで困難になったのです。これをカバーするため、ネットワークで地方と都市部の医師をつなぎ、遠隔で手術の支援や指導を行う必要性が格段に増したのです。
3. オープンプラットフォーム体制で、優れた技術、知見を広く集める
hinotoriTMは、川崎重工業が持っている産業用ロボットの技術がベースになっています。しかしながら、それ以外の技術、知見に関しては、当初からオープンプラットフォームという枠組みを設け、プロジェクトに賛同してくれる企業、アカデミアなどから優れた技術、知見を集めています。例えば、内視鏡はドイツのカールストルツの技術を、三次元映像を見るための3D Viewerの技術はソニーの技術を活用しています。
そして遠隔医療の技術として白羽の矢が立ったのが、NTTドコモの5G技術でした。2019年のことでした。将来、病院間をネットワークでつなぎ遠隔医療を行う際に、病院内にある既存のイントラネットの通信速度などの制約を受けずに柔軟にネットワークを構築する技術として、モバイルを使うことを考えたのです。もちろん、5Gの持つ高い伝送速度や低遅延性、高いセキュリティ性能にも着目してのことです。
商用5Gを介したhinotoriTMを使った世界初の遠隔操作の実証実験は成功し、2021年4月にプレスリリースをしています。
4. 開発拠点を活用し異分野連携を強化した開発
遠隔操作の実証実験は、神戸市の「神戸未来医療構想」の枠組みの中で行われています。革新的な医療機器開発を促進するために、医療機器関係の企業、ICT企業、それから専門病院群を集積し、医療機器開発を行う際に、非臨床試験から臨床試験までを一気通貫で実施可能な体制を構築しているのです。
hinotoriTMの開発段階においても、関係者が近い距離に集積していることは重要でした。産業用ロボットと医療用ロボットでは求められる要件が違います。また、医者が使い易い操作方法を実現することも必要でした。産業用ロボットはトラブルが発生したらロボットを止めて安全を確保しますが、手術ではロボットの調子が悪くても最後まで動かすことが求められます。この要求条件や求められる操作方法の明確化に貢献したのは、関係者の密なコミュニケーションを可能とする近い距離だったのです。操作方法に関しては、実際にロボットを動かしてもらい相互理解を深めています。
遠隔医療に必要なネットワーク技術についても、この方式を適用し、関係者の密なコミュニケーションの中で開発を進めています。ポイントとなったのは、モバイル側では解決ができないベストエフォートという通信の基本を医療関係者とロボット関係者に理解してもらうことだったそうです。この理解のもと、実証実験では、パケットが落ちることを前提に手術が可能かどうかを確認しています。もちろん、信頼性を高めるために必要なソリューションは考えています。それは、5G基地局を病院内に設置し、医療機器とクラウド基盤を直結して通信経路を最適化、というものでした(図2参照)。
図2:「商用5Gを活用する遠隔ロボット手術ソリューション」の構成
(NTTドコモ提供)
5. 今後のさらなる発展に向けて
手術支援ロボットの遠隔からの手術助言では、法制度の改革は必要ありません。しかしながら、実際に一部の手術をする場合は、この改革が不可欠となります。神戸大学、メディカロイド、NTTドコモの3社は神戸市も交え、遠隔ロボット手術から遠隔医療全体に関わる法的な問題点の整理や認可に向けた活動を進めていく予定です。また、遠隔手術のガイドラインを制定することも必要です。このガイドラインについては、いろいろな学会が個々に検討しており、この統一化も重要なのです。
一方、モバイル側にも大きな課題があります。利用側のニーズに応じてネットワークの品質をどこまで担保するか、という技術面と制度面にまたがる課題を解決する必要があるのです。今後、5Gではネットワークスライシングという技術が使えるようになります。この技術は、単一のネットワークインフラを仮想的に分割(スライシング)し、さまざまなニーズや用途に応じたサービスに最適なネットワーク提供を可能とします。例えば、より信頼性の高い通信が必要な場合は、ネットワーク内でその特定のサービスが使っているスライスを高い優先度で帯域割当制御する、などの方法によりこれを実現します。
これに近い概念としては、現在、災害時優先電話というサービスがあります。災害時の救援・復旧・公共の秩序を維持するため、通信が混んだ時に電気通信事業者が防災関係機関等などの発信を優先して取り扱うサービスで、法律で対象者が規定されています。遠隔医療など人命に関わる用途にモバイルが使われる際に、この優先度をどうするかについてコンセンサスを得ながら制度作りを進める必要があるのです。
遠隔医療以外でもhinotoriTMのさらなる発展のため、さまざまな課題をクリアする必要があります。AI等を活用しロボット手術を自動化し、かつ、患者に応じた最適手術を実現するには、多くの手術データを集積することが不可欠です。
これらの課題に対しても、神戸未来医療構想では、hinotoriTMを活用して関連技術の開発を促進するなど、勝つための戦略をきっちり立てています。
戦略は立てるだけでなく、実行することが重要です。また、状況に応じて機動的に見直すことも求められます。手術支援ロボットの開発はリスクが高い案件です。リスクを取りたがらない日本企業が多い中で、リスクが高い開発案件に果敢に挑戦した参画企業の経営者の判断は素晴らしいと思います。また、経営者の判断に応え、産学官連携の枠組みを上手に活用し戦略を実現しつつある現場開発陣の熱意には感嘆します。この熱意の継続によってhinotoriTMの機能や使い勝手が一層向上し、世界で活躍する日が来るのを期待したいと思います。
今回紹介した事例
5Gを活用する遠隔ロボット手術ソリューション - 産学官連携でイノベーションの高速化にチャレンジ
ロボット支援手術では繊細な手技をロボットがサポートすることで、患者の負担が少ない手術ができることから、導入進んでいる。一方で、都市と地方の医療格差が広がっており、さらには医療従事者の働き方の課題を解決するために、神戸大、メディカロイド、NTTドコモが結集して、手術支援ロボットと5Gネットワークによる「遠隔ロボット手術ソリューション」の開発にチャレンジしている。…続きを読む
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