本メルマガは、IoT価値創造推進チームのリーダーである稲田修一が取材を行ったIoT導入事例の中から、特に参考となると感じた事業や取り組みを分かりやすくお伝えする見聞記です。
今回は、ハンドツールメーカーの京都機械工具(本社:京都府久世郡久御山町)の、IoTを活用した工具の進化とその実現のために行った会社改革を取り上げます。
【ここに注目!IoT先進企業訪問記(49)】
伝統・文化を踏まえて会社を変える-京都機械工具の次世代作業トレーサビリティシステムTRASAS(トレサス)
1.はじめに
京都機械工具は、「KTC」のブランドで自動車整備用工具などの作業工具を提供するメーカーです。創業は1950年。モータリーゼーションの波に乗って成長し、現在では日本を代表するハンドツールメーカーとして、さまざまな用途向けに10,000アイテム以上の工具を製造販売しています。その製品の品質の高さには定評があります。
工具を使う航空機、鉄道車両、産業機械などの製造・保守現場では、現在、さまざまな課題があります。まだまだ人手に頼る作業が多く、目視確認による測定値の読み取りや転記のミス、作業者と確認者という複数人による作業のムダ、熟練作業者の勘やコツへの依存、外国人など未熟練労働者の増加への対応、作業データや測定データなどの信頼度の担保などの課題が未だに解決されずに残っているのです。
そこで同社はIoTを活用した次世代作業トレーサビリティシステムTRASAS(トレサス:TRAceable Sensing and Analysis System)を開発し、課題解決に取り組んでいます。
2. TRASASの概要
TRASASでは、工具や測定具にセンシング技術を実装し、測定データを現場にある作業者用ソフトウェアに無線で送信し記録します。さらに、現場で取得したデータをクラウドもしくは自社内のサーバに設置した統合管理ソフトウェアに集約し、作業履歴(データ)の記録・管理・分析を行います。これによって、作業が指示通り行われているか、作業者の技量の差によるばらつきがないか、などを確認できるのです(図1参照)。
この仕組みにより、システムが作業漏れや不適切な作業などのうっかりミスを見つけ、これらの発生を防ぐことができます。また、ダブルチェックなどの廃止が可能になり、大幅なコストダウンを実現することができます。作業品質の確保によって製品の安全性や信頼性を担保することが可能になり、顧客満足度の向上を実現することができるのです。また同時に、確実な作業を実施したことの保証にもなり、作業する人に安心感を与えることができます。
現在、製造・保守現場では、不注意やミスによりさまざまなトラブルが起こっています。製品の欠陥が社会問題になり、役員が陳謝するケースも少なくありません。このような場合、現場を責めても問題は解決しません。逆に、現場のモチベーションが下がり、事態を悪化させるケースもあります。必要とされるのは、作業の信頼性を確保し、作業者や現場のプライドややる気を守る仕組みを構築することなのです。実際このシステムを導入した企業からは「現場の味方」という声が多く寄せられているそうです。
図1:TRASASシステムの全体像(京都機械工具提供)
3.簡単ではなかったシステム開発
同社ではTRASASの開発着手からIoT工具の初期製品投入までに3年、その後ソフトウェア開発や全体のプラットフォーム化などシステム全体像の構築にさらに2年という期間を要しています。時間がかかった理由の一つは、工具の世界に大きなイノベーションを起こす取り組みだったからです。
従来の工具メーカーの立ち位置は、工具の精度は保証するが工具を使った結果は利用者に委ねるものでした。これに対して、TRASASは工具の精度を保証するだけでなく、利用者の作業を支援し、工具を使った結果にまで踏み込んだのです。今までにないつながる機能と見える化機能を工具に追加し、利用者に確実な作業の保証という安心感を与えています。さらに、顧客企業が抱える安全性や信頼性の担保、工程改革などの課題解決という領域にも踏み込んでいます。まさにモノづくりの世界を離れ、コトづくりの世界に挑戦したのです。このため、社内啓蒙、社員の意識改革、開発体制の刷新など、多くの社内調整が必要でした。
4.工具大進化の道筋と開発テーマの明確化
同社はTRASASの開発に当たり、いくつかの新しい取り組みを行っています。まず、工具大進化の道筋を考えています(図2参照)。工具の将来像を分かりやすい形で示すことにより、社内啓蒙、意識改革を図ったのです。
この図には、「勘・コツから客観性のある正確な測定へ」「間違いが発生する可能性がある人による転記から自動記録へ」「自動記録のデータを集約し、作業の進捗管理、履歴管理などトレーサビリティの確保へ」「トレーサビリティデータの分析でさらなる信頼性向上や作業効率化を図るだけでなく、工程改革や経営判断の迅速化などビジネスインテリジェンスの活用へ」というモノづくりからコトづくりへの進化の道筋が明確に描かれています。
TRASASの販売開始は2020年2月なのですが、同社はそれよりも3年以上も前に開催されたものづくり系の展示会で工具大進化の道筋とそれを実現する手段である作業トレーサビリティシステムという仕組みを発表しています。公開することで、不退転の決意でTRASASに取り組むことを内外に示したのです。
また、このような大きな流れを示すだけでなく、具体的な開発テーマを社員や開発者がイメージできるように、絵コンテで示しています(図3参照)。絵コンテの利用は、イノベーションに対する理解を進め、さらなるイノベーションを起こす上で有効な手法として注目されているものです。
5. 開発ターゲットの明確化とICT企業などとの共創の推進
開発のターゲットとなったのは、まずはネジ締結のトルク管理です。これは汎用工具に装着することにより、ユーザが既に所有している工具を通信機能付きデジタルトルクレンチに早変わりさせるもので、安全性に直結するファクターと考えられるトルク管理を容易化し、広く普及させることを目指したものです。この他、ブレーキパッドの残量を測定するブレーキパッドゲージ、タイヤ溝の深さを測定するタイヤデプスゲージなど、製品の使用者の安全性と深く関係する作業分野が選ばれています。
同社はICT企業などとの共創も強化しています。TRASASを導入するにはセンサー付きの工具から収集・集積したデータを活かすシステム構築や顧客の既存情報システムとの統合が必要になります。これには、システム、ネットワーク、現場の作業工具などの知見を組み合わせることが不可欠です。このため、組込・制御系システム開発企業、広域システム基盤開発企業などと互いの強みを組み合わせる体制を構築し、開発を行いました。また、顧客のシステム導入を促進するため、SIerやIoTネットワーク事業者などのICT企業やシステム販売企業、リース会社などとのパートナーシップを強化しています。
6.伝統・文化を踏まえた会社改革
同社を取材して感心したのは、会社の伝統・文化を尊重した形で改革を進めていることです。同社は現場第一主義で、工具利用者である製造・保守現場が抱える悩みや課題に寄り添い、これを解決することが伝統・文化となっていました。これは同社の創業後まもなく作成された社是と社訓にも反映されています(図4参照)。
同社はこの社是の意味するところをIoT/データ活用という視点で新たに考え直しています。その結果、「使いよい」という概念が現場課題の変化により大きく変わっていることに気が付いたのです。目視確認による測定値の読み取りや転記のミス、作業者と確認者という複数人による作業のムダなどの新たな課題に対応するには、工具に加えてソフトウェアによるサービス提供、運用面での改善などを自由自在に組み合わせるソリューションの提供が不可欠だったのです。
図4:京都機械工具の社是と社訓(同社のロゴもその一部)(京都機械工具提供)
このため同社は、「工具」の定義をいわゆる「モノ(ハードウェア)」にとどまらず、「コト(ソフトウェア、サービス)」まで含む幅広いものに再定義しています。工具から収集するデータを活用し、ソフトウェアによるサービス提供を含め工具の機能と考えたのです。但し、安全、快適、能率・効率、環境が重要で、そのうち安全を何よりも重視するという工具のコンセプトは変えておらず、TRASASもこの考え方で開発されています。
社是や社訓は会社の伝統・文化を端的に表わすもので、社員の頭と体にしみ込んでいます。それを上手に活用した点が、時間はかかったものの次第に会社を変革し、5年という長い期間を要したTRASASの開発を進めることができた秘訣かもしれません。
インダストリー4.0や中国製造2025などは、人間、機械などが互いに通信し製造プロセスを見える化することで、バリューチェーン変革や新しいビジネスモデル構築を狙っています。そして、これらの仕組みの整備が進めば、オーダーメードの製品作りを行う「マス・カスタマイゼーション」が実現するとしています。この実現に当たってボトルネックになるのは、人・工具のリアルタイムの「つながる化」、人の作業とその結果の「見える化」です。どんなに自動化が進んでも人の作業はなくなりません。この部分を効率化し、付加価値を高めるには、人の使う工具をセンシングしデータを収集・集積することが必要なのです。同社は、この点に着目し工具の大進化を推進しています。
筆者が、TRASASの開発コンセプトを聞く中で気が付いたことがあります。それは時代に合わせて製造・保守現場を再構築することの必要性と同社の新たな可能性です。「トレーサビリティデータの分析でさらなる信頼性向上や作業効率化を図るだけでなく、工程改革や経営判断の迅速化などビジネスインテリジェンスの活用へ」という進化を実現するには、製造・保守現場を評価しそのプロセスの再構築を図ることが必要な場合が結構あります。
ところが、自社の現場プロセスが効率的かどうか、信頼性が高い仕事を行える仕組みかどうか、を自社で評価するのは意外に難しいものです。また、現場の効率化に必要な工具のプロは極めて少ないのが現状です。ここに同社のさらなる活躍の余地があります。同社には、製造・保守現場の課題を発見し、その解決策を提示するという長年に渡り培ってきたコンサルティング能力があります。そして今、これをサポートするデータ活用の仕組みも構築しています。まさに、現場を評価しプロセスを再構築するために、この能力が活かせるのです。
同社の強みは、ICT分野の知識と経験を有する自社人材やパートナー企業を活用し、工具分野におけるIoTの知識や経験と掛け合わせたことです。コトづくりのキーワードの一つはソフトウェアによる価値創造ですが、それを他社に先駆けて工具の分野に適用したのです。もちろん、工具大進化による価値創造は同社だけでできるものではありません。TRASASの機能を他の工具メーカーにも開放し、ソフトウェアを充実させていくことが不可欠です。つまり、関係者が参加することで便益を受けるコミュニティを形成し、オープンイノベーションを推進することが必要になるのです。
「工具を創り、社会に貢献する」という創業者の熱い思いを受け継ぎ、TRASASがIoT機能付き工具のプラットフォームとなり工具大進化が実現すること、そしてそれが日本の製造・保守現場の大進化につながることを心から期待したいと思います。
今回紹介した事例
製造・保守の現場に求められるヒト作業のIoT ― 京都機械工具の次世代作業トレーサビリティシステムTRASAS
航空機、鉄道車両、産業機械などの組立製造および稼働後の点検保守は、その大部分ヒトの手作業で実施されている。これらの製造・保守現場においては、IT化の遅れから、目視確認による測定値の読み取り・転記ミス、作業者と確認者という複数人による作業の無駄、熟練作業者への依存、作業者の多様化への対応、作業データや顧客情報などの信頼度の担保という課題が未だに解決されていない。そこで、IoTを活用した「つながる工具」とソフトウェアによるデータ管理、作業エビデンスの発行や分析によってこれらの課題を解決するTRASAS(トレサス)を開発し2020年2月から販売を行っている。...続きを読む
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