IoT導入のきっかけ、背景
東に南アルプス、西に中央アルプスという3000m級の山々に抱かれた長野県伊那市は、森や川が織りなす豊かな自然に恵まれた街である。山が多い地形のため、市の面積の約82%が山林となっており、住宅地・商業地は天竜川や三峰川(みぶがわ)沿いを中心に広がっている。
だれもが住み慣れた土地で、安心して暮らし続けたいと思うものである。その一方で、少子高齢化による人口の減少が進む中、日々の生活インフラをいかにして維持するかは、安心した暮らしを実現する上で多くの地方自治体が抱える課題である。
三峰川に沿って約100世帯前後の集落が点在する伊那市の長谷地区(旧長谷村)では、地区内に日用品の買い物に利用できる商店がなく、隣接する高遠地区にある最寄りのスーパーマーケットまでの距離は、長谷地区の中心部から約6km、遠いところからは約13kmもある。そのため、車がないと日常の買い物が困難であり、高齢者世帯では運転免許を返納してしまうと買い物の足がなくなってしまう。
この課題を解決するための検討の中で、市が宅配事業者・物流事業者などにヒアリングを行ったところ、こうしたサービスの必要性は十分認識するものの、採算を考えると事業の維持が難しいという意見が多かった。そのため、全国初の試みとして、商品の輸送を含めた買い物サービスを市が構築するという判断に至った。
伊那市では「伊那に生きる、ここに暮らし続ける」をテーマに、ICTを活用して地域の課題を解決する「新産業技術推進事業」を2016年から進めている。その中で実証実験を行ってきたドローンの活用が買い物困難者への支援策として最適と考えた。こうして、KDDI株式会社(以下、KDDI)や多くの企業の協力のもと、ドローンによる商品配達を行う、支え合い買物サービス「ゆうあいマーケット」を2020年 8月5日から開始した。
IoT事例の概要
サービス名等、関連URL、主な導入企業名
・サービス名:伊那市支え合い買物サービス「ゆうあいマーケット」
・関連URL:https://www.inacity.jp/koho/photonews/photelibarary020805.html
本取り組みは、モバイルコンピューティング推進コンソーシアム(MCPC)主催の、モバイルコンピューティングの導入により高度なシステムを構築し、顕著な成果を上げている企業や団体を表彰する「MCPC award 2021」のグランプリ・総務大臣賞を受賞した。
サービスやビジネスモデルの概要
「ゆうあいマーケット」は、食料品などの日用品をケーブルテレビのリモコンなどで手軽に注文し、ドローンによる当日配送を実現することで買い物困難者を支援する伊那市のドローン物流サービスである。
配送用のドローンは、 KDDI のモバイル通信ネットワークやドローン運航管理システムを使用した、目視外自律飛行、遠隔監視制御が可能なスマートドローンである。日用品などを最大5kg積載し、商品を注文した方が住む地区の公民館まで空輸する。公民館から注文者宅までのラストワンマイルの配送は、注文者が公民館に受け取りに来る、あるいは、ボランティアが人の手で配送する。(写真-1を参照)
写真-1 商品を積んで公民館に着陸するドローン
(出所:KDDI提供資料)
ゆうあいマーケットでは、ラストワンマイルの配送にあえてマンパワーを使うことで、人の温もりがあるサービスにするとともに、住民の見守りや地域コミュニティの活性化につなげている。加えて、人手をかける部分をラストワンマイルに集約することによって、買い物支援の担い手不足などの地域課題の解決を図っている。
「ゆうあいマーケット」の詳細
(1) 河川や湖の上空を使った空飛ぶデリバリー
ゆうあいマーケットは、調査の際に買い物困難者が多かった長谷地区を対象としている。2020年8月のサービス開始当初は、長谷地区の非持・溝口・黒河内・中尾地区を対象とし、2021年11月から飛行距離を伸ばした機体を投入することによって、市野瀬・杉島地を加えた合計6地区を対象としている。ドローンは最大10.3kmを自律飛行する(2022年2月現在)。(図-1を参照)
目視外のドローン飛行を行うためには、目視外自律飛行や遠隔監視に関する航空法の要件をクリアすることに加えて、飛行ルートを第三者が存在する可能性が低い場所に設定する必要があるため、KDDIと開発実証事業を開始した2018年当時は、住宅地や幹線道路の上空は飛行ルートにすることができなかった。そのため、ゆうあいマーケットでは、三峰川と美和湖の上空を飛行ルートとすることによって、航空法等関連法令への準拠と安全性を確保した。
図-1 ゆうあいマーケットの対象地域
(出所:伊那市提供資料)
(2) ケーブルテレビのリモコンを使った買い物
注文と商品の受け取りの流れは以下の通りである。(図-2を参照)
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ケーブルテレビの画面でリモコンを使って商品を注文。電話による注文も可能であるが、大半の注文はケーブルテレビ経由で受けている。午前11時までに注文を受けた商品は、その日の夕方に即日配達を行う。お盆やお正月用の季節商品や特売品などもあり、家にいながらさまざまなお買い物を楽しむことができる。(写真-2を参照)
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注文された商品は、ドローンを使って近隣の公民館まで配送する。ドローンで運ぶことのできない荷物については、軽自動車で輸送する。
- 利用者はドローンの着陸地点である近隣の公民館で荷物を受け取る。受け取りに行くことができない場合は、ボランティアが配達を行う。
本サービスは月額利用料金1000円のサブスクリプション制としている。サービス利用料金に加えて、商品の購入代金(店頭と同じ価格)をケーブルテレビの月額利用料金と合算してキャッシュレスに慣れない高齢者でも可能な口座振替で決済する。
図-2 商品購入の流れ
(出所:KDDI提供資料)
写真-2 ケーブルテレビを使用した注文
(出所:KDDI提供資料)
(3) 企業やボランティアの力を結集した体制
ゆうあいマーケットの構築は、商品の調達、商品の紹介・注文、代金決済、輸送、配達(ラストワンマイル)の仕組みを構築することであり、サプライチェーンの構築にほかならない(図-3を参照)。加えて、安全な飛行を実現するための、運行システム、機体、気象情報、地図情報のなど提供、飛行管制の実施のために多くの企業などとのアライアンスを行っている。(表-1を参照)
図-3 ゆうあいマーケットのサプライチェーン
(出所:伊那市提供資料)
企業・団体名 | 役 割 |
KDDI株式会社 | スマートドローンプラットフォームの提供 |
株式会社プロドローン | ドローンの機体提供 |
日本気象協会 | 飛行ルートの気象情報の提供 |
株式会社三菱総合研究所 | コンサルティング |
株式会社ニシザワ | 同社が運営するスーパーマーケット食彩館を通じた商品の調達と出品 |
株式会社ゼンリン | 高精度3D地図データの提供 |
一般社団法人信州伊那宙 | 飛行管制の実施 |
株式会社ウェザーニューズ | 着陸地点の気象情報の提供 |
国立大学法人東京海洋大学 | 学術研究 |
伊那ケーブルテレビジョン株式会社 | 商品注文・決済システムの運営 |
表-1 ゆうあいマーケットの企業アライアンス
(出所:伊那市提供資料)
(4) KDDIのスマートドローンプラットフォーム
ゆうあいマーケットでは、目視外のドローン飛行を実現するために、KDDIのスマートドローンプラットフォームを使用している。スマートドローンプラットフォームは、以下の機能を有している。(図-4を参照)
- モバイルネットワークを使用したドローンの長距離自律飛行の遠隔制御と遠隔映像監視
- ドローンの自律飛行ルートの設定
- ドローンの目視外自律飛行の要件に対応した運行管理と関連機能、など
図-4 スマートドローンプラットフォーム
(出所:KDDI提供資料)
(5) 地域コミュニティの活性化
公民館からラストワンマイルの配達を行うボランティアには、移住者の方も参加していただいている。移住者にとっては、こうした活動を通して地域の方々と会話することが、いち早く地域に溶け込む機会となっている。従来からの集落支援員のボランティアにとっても、商品の配達は高齢者との会話のよいきっかけとなっている。このようにして、本サービスを通じた地域コミュニティの活性化が期待できる。
「伊那に生きる、ここに暮らし続ける」ために
伊那市では、買い物困難者、移動困難者への支援のために、ゆうあいマーケットに加えて、さまざまな施策を展開している。AI(人工知能)を活用した自動配車乗合タクシー「ぐるっとタクシー」、医師の乗らない移動診療車「モバイルクリニック」、市役所等へ来ることが難しい方に対して、出張サービスを行う「モバイル市役所」などである。
このようにさまざまなさサービスを届けることによって「伊那に生きる、ここに暮らし続ける」ことを実現していきたいと考えている。
取り扱うデータの概要とその活用法
本サービスで使用している主要なデータは以下である。
- ドローンの飛行ルートや着陸地点の気象情報
- ドローンの飛行ルート
- 飛行中のドローンから撮影した画像(ドローンの飛行状態の監視に加えて、ルート上の河川の状態やゴミの不法投棄の監視などにも活用している)
- 機体のテレメトリー情報
- お買い物の情報、など
事業化への道のり
苦労した点、解決したハードル、導入にかかった期間
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伊那市では、地域の利用者の声、小売りや配送サービス事業者の声をアンケートや直接ヒアリングで幅広く集めて、制度の設計を行った。また、アライアンスを組んでいる多くの企業との調整を行い、独自のサプライチェーンを構築した。
- 物流サービスは民間企業が行うことが基本であるが、事業者単独では持続可能にならない中で、住民への福祉向上を重視して市が取り組む判断をした。その中で、物流の基盤部分は、月額の利用料に加えて当面の間は市が補助する形とし、この基盤を使用した物品販売の部分は、民間の事業者が店舗と同じ価格で販売しても利益が得られるようにした。
技術開発を必要とした事項または利活用・参考としたもの
伊那市が求めるドローンの飛行距離を満足するために、バッテリーの消費量を下げる必要があった。そのために、スマートドローンプラットフォームで行うルート設定機能の最適化を行った。
今後の展開
現在抱えている課題、将来的に想定する課題
現在は、福祉的要素を含んで自治体が一部の費用を負担しているが、利用者を増やすこと、エリアを拡大することなどで、費用負担をできるだけ少なくしていきたい。
強化していきたいポイント、将来に向けて考えられる行動
ドローンの機体に関しては、飛行距離とペイロード(荷物の積載量)の拡大に取り組みたい。安全面についても継続して追及し、ドローンの利用領域を拡大したい。
将来的に展開を検討したい分野、業種
伊那市では、以下のドローンのマルチユース化を進めている。引き続き、産学との連携を通じてドローンの利用拡大を行いたい。
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隔絶地となる山荘への物資運搬を従来のヘリコプターからVTOL(固定翼型垂直離着陸ドローン)へシフトすることにより、フレキシブルな運航とコストダウンを実現する。
- 橋梁点検や河川巡視へのドローン活用を進めることで機体の稼働率向上やベネフィットの複層化を実現し、ゆうあいマーケットを含めた事業のコスト分散を図る。