本メルマガは、IoT価値創造推進チームのリーダーである稲田修一が取材を行ったIoT導入事例の中から、特に参考となると感じた事業や取り組みを分かりやすくお伝えする見聞記です。
【ここに注目!IoT先進企業訪問記 第97回】
スマートフォンが拓く新しい健康管理のかたち~NTTドコモのヘルスケアAIとHealthTech基盤の可能性~
1. スマートフォンデータの健康分野への展開
わが国では、60兆円を超える医療費・介護費の低減のために、健康寿命の延伸が大きな社会課題となっています。この課題を解決するには、国民一人ひとりが自身の健康状態を継続的に把握し、早期に気づき、行動変容につなげる仕組みが不可欠です。しかし、従来のアンケートや問診、健康診断といった手法は、実施の手間や頻度の制約から、国民全体を対象とした継続的な評価には限界があります。
NTTドコモ(以下、「ドコモ」という)は、この課題を解決するために、日常的に携帯されるスマートフォンを活用することを考えました。スマートフォンは、睡眠・運動・外出、さらには消費行動やコミュニケーションなどの生活関連データを、利用者の負担なく自然に取得することができます(図1参照)。これらのデータは、生活リズムや社会参加度、身体活動量など、健康状態と密接に関連しており、従来の手法では得られなかった「日常のリアルな健康行動」から健康リスクを捉えることができると考えたのです。
図1:スマートフォンで取得できる生活関連データ
(出所)NTTドコモ提供資料
2. 生活関連データを活かすヘルスケアAIとHealthTech基盤の開発
ドコモは、これらの生活関連データと医学的知見を掛け合わせることで、次のようなヘルスケアAIを開発しています。
① フレイル注1推定AI:フレイル、起因する習慣を推定
② 血圧上昇習慣推定AI:血圧上昇リスク、起因する習慣を推定
③ 免疫力推定AI:免疫力の変化、起因する習慣を推定
④ 脳の健康チェックAI:認知機能/脳年齢、起因する習慣を推定
⑤ 健診予測AI:過去の健診データと直近の生活習慣から将来の検査値(血糖・中性脂肪など)の悪化を予測
注1:「フレイル」とは、歳とともに、体力・気力が低下した状態を指します。フレイルになると、病気になりやすくなる、生活の質が低下するなどのリスクが増大します。ただし、適切な対策で、健康な状態に戻ることが可能な「可逆性」という特徴も持っています。
これらの複数のAIを組み合わせることにより、利用者の健康状態をより多面的かつ精緻に把握することが可能になるのです。
さらに、これらのAIは「HealthTech基盤」上で集約・実装され、API注2を通じて社外パートナーに提供されています。スマートフォンという生活インフラを活用し、生活関連データと医学的知見を組み合わせることで、利用者が負担なく健康状態を把握し、改善のヒントを得られる「日常に溶け込んだ健康管理」の実現に向けた道が拓かれつつあるのです。(図2参照)
注2:Application Programming Interfaceの略。ソフトウェアやプログラム間の窓口として機能し、異なるシステム同士が通信やデータ交換を行うための仕組みを提供します。

図2 NTTドコモのヘルスケアAIとHealthTech基盤の概要
(出所)NTTドコモ提供資料
これらのAIを活用すると、以下のような利点があります。
① 健康リスクの早期把握:フレイルや生活習慣病リスクを、健康診断の有無に関わらず日常的に推定できる
② 行動変容の支援:AIの推定結果に基づき、睡眠・運動・外出などの改善ポイントと具体的な目標を提示できる
③ 継続的なモニタリング:利用者に負担をかけずに、長期的な健康状態の変化を追跡できる
④ 予防的アプローチの強化:日常的な行動などの変化から早期の気づきが得られ、行動変容により将来的な医療・介護費の抑制にも寄与する
これらは、従来の手法では実現が難しかった「継続性」と大量のデータに基づく統計的「客観性」を兼ね備えたアプローチです。まさに、生活インフラとなっているスマートフォンの新しい利用法を開拓しているのです。
3. 生活関連データの利用先
HealthTech基盤は、次のとおり、スマートフォン利用者の健康管理支援にとどまらず、自治体や企業など多様な主体に価値を提供することが可能です。
3.1 スマートフォン利用者にとっての価値
ドコモはHealthTech基盤を活用し、健康管理サービス「dヘルスケア」の機能を拡充しています。歩数計測や体重記録など、健康に関するミッションを毎日配信し、ミッションをクリアすると抽選でdポイントがもらえるサービスです。「気づかないうちに健康になれる」仕組みは、行動変容のハードルを下げ、継続的な健康づくりの後押しにつながります。
3.2 自治体にとっての価値
自治体にとって、住民の健康状態を継続的に把握し、効果的な施策につなげることは重要なテーマです。しかし、地域全体の健康状態を日常的に把握することは困難でした。この課題に対し、ヘルスケアAIは新しい選択肢を提供します。ドコモは「令和4年度東京都次世代ウェルネスソリューション構築支援事業」に採択され、フレイル推定AIの実証実験を行っています。
この事業では、フレイル推定AIの精度の高さが証明された他、利用者の約50%に健康への意識変容が起きました。介護費用抑制効果については、試算によれば一人あたりの年間介護費用が5,000円ほど低減するとのこと。
ドコモやそのグループ会社は、これ以外に愛知県豊田市や広島県神石高原町など様々な自治体で実証実験を積み重ねています。ヘルスケアAIを使うことで、自治体は地域住民の健康状態をリアルタイムに近い形で把握し、施策の改善に活かすことができるようになります。「地域の健康づくり施策をデータに基づいて改善したい」という自治体のニーズに応えるヘルスケアAIの機能を使うサービスは、実証実験の成功を通して、他の多くの自治体などに広がりつつあります。
3.3 他分野の企業にとっての価値
HealthTech基盤はAPI環境を提供しています。このため、保険、製薬、小売、医療、娯楽/レジャー、金融など、多様な企業が自社サービスにヘルスケアAIを組み込むことができます。このきっかけとなったのは、経済産業省の「令和5年度補正PHR注3社会実装加速化事業」への採択です。
注3:Personal Health Recordの略。生涯にわたる個人の健康・医療に関わる情報のこと。自分の健康に関するレコメンドの受け取り、かかりつけ医や近隣の医療機関・自治体などの第三者へのデータ閲覧・提供などを通じ、個人の健康増進につなげることが可能となると期待されている。
食品・飲料・調味料の大手総合メーカーのカゴメ社、ゲーム開発のジーン社、デジタルツイン・AR(拡張現実)・VR(バーチャルリアリティー)などに強いサステナブルパビリオン2025社など5社にヘルスケアAIを提供しています。例えば、カゴメ社との連携では、AIが算出したリスクスコアとカゴメ社の「ベジチェック」で測定した野菜摂取レベルに応じて、アイテムを獲得できるVRゲームを提供している他、健康維持や野菜を摂ることの大切さを体感していただく体験ブースを大阪・関西万博に出展しました。
HealthTech基盤を活用すると、健康増進サービス、保険商品のリスク評価、食品・飲料のレコメンド、レジャー分野での行動促進など、生活者との接点を持つあらゆる領域で自社サービスの価値を高めることができます。生活者の行動と密接に関わる業界ほど、ヘルスケアAIとの相性が良く、生活関連データと企業の有するデータの掛け合わせは、生活者の行動を理解し、より良い選択を促すサービスに発展する可能性があります。
4. 今後の課題と展望
ヘルスケアAIとHealthTech基盤は大きな可能性を持つ一方で、いくつかの課題が存在します。その一つは、プライバシーとデータ利活用のバランスです。健康管理データは極めてセンシティブであり、利用者本人の同意を前提とした透明性の高い運用が不可欠です。PHRのポータビリティや標準化も進行中ですが、その利活用には、健康管理データを活用するメリットが社会全般に理解され、社会的受容性が高まることが必要です。
また、組織の壁を超えたデータ連携を実現することも大きな課題です。医療、自治体、企業など、組織をまたぐデータ連携には依然として高いハードルがあります。プライバシー保護だけでなく、自社データが他者に漏洩するリスクがあるからです。競争ではなく、社会全体が手をとりあって社会課題を解決する、自らの強みを持ち寄り共創の精神で課題を解決するという考え方が広がることが期待されます。
APIを備えて共創の中で発展をめざしているヘルスケアAIとHealthTech基盤が、スマートフォン利用者にさらに広がり、自治体や企業との共創の輪を広げるプラットフォームとして進化し、健康問題の解決に貢献することを心から期待したいと思います。
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