本メルマガは、IoT価値創造推進チームのリーダーである稲田修一が取材を行ったIoT導入事例の中から、特に参考となると感じた事業や取り組みを分かりやすくお伝えする見聞記です。

 今回は、LPガスなどエネルギーの供給・販売事業の変革をめざす日本瓦斯株式会社(略称「ニチガス」、本社:東京都渋谷区)の取り組みを紹介します。

 

ここに注目!IoT先進企業訪問記(56)

エネルギー供給・販売事業のデジタルトランスフォーメーションをめざすニチガスの挑戦

1.業務プロセス全般に踏み込んだ改革

 ニチガスのデジタルトランスフォーメーション(DX)は、基本に忠実です。世の中には、ICT活用で業務プロセスの一部を改革する、あるいは業務プロセスは見直さずに効率化を図ろうとする例が多いのですが、同社は基幹システム刷新にとどまらず、バックキャスティング注1によって事業を再定義し、主力であるLPガスの業務プロセス全般を改革しています。

注1:イノベーション手法の一つで、まず未来のあるべき姿を描き、そこから振り返って(バックキャスティング)現在すべきことを考える手法。達成が難しいけれど、なんとしても実現しなければならない課題解決に適した手法と言われています。

 この契機となったのは、エネルギー市場の自由化です。我が国では1995年から始まった改革の波により、1997年4月にLPガス小売が全面自由化されました。その後、2016年4月には家庭用の電力小売が、2017年4月には家庭用の都市ガス小売が自由化され、エネルギー市場はさらに厳しい競争にさらされるようになったのです。

 この厳しい競争に打ち勝つ改革の核となったのは、LPガス物流システムの大幅な見直しでした。輸入基地の近くに大規模なハブ充填基地を設置し、そこでボンベにLPガスを充填します。そして、夜間にトレーラーでデポステーション(以下「デポ」)と呼ばれる無人のボンベ積み替え場所まで運び、そこから配送する仕組みに変えました。

 車両コストが高い昼間のタンクローリー車利用を最小化し、長距離の運搬を渋滞がない夜間のトレーラー利用に置き換えることにより、物流コストの低減化を図ったのです。LPG業界では、顧客の近くに比較的小規模なガス充填工場を設置し、輸入基地からタンクローリーで昼間に充填用のガスを運ぶ形態が一般的な中で、大きな改革です。(図1参照)

 デポの整備はハブ充填基地の整備に先立って2010年から開始され、2020年末の時点で17か所に開設しています。そして、世界最大規模のLPガスハブ充填基地「夢の絆・川崎」を2021年3月に開設したのです。
 

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図1:LPガス配送の仕組み(ニチガスモデルと他社モデルの違い)(ニチガス提供)
 

2.一気通貫のデジタル活用

 この仕組みのさらなる効率運用に大きく貢献すると期待されるのが、データ連携によるオペレーションの最適化です(図2参照)。このため、IoTプラットフォームサービスを提供している株式会社ソラコムと協働し、2018年にデータを収集し、統合する基盤となる「ニチガス・ストリーム」を構築しています。収集したデータをAIで静的・動的に解析し、顧客毎に異なるニーズや多様化する地域社会の動態に対応した新たなサービス開発に応用するためです。

 また、ガスメーターをオンライン化し、ガス使用量をリアルタイムに自動検針するIoT装置「スペース蛍」をソラコムとの協業で開発しています。2020年2月から取り付けを開始し、2021年3月までに90万にのぼる全てのLPガス顧客のメーターに取り付けています。1時間ごとに検針し、一日一回収集することで、検針の手間が省けるだけでなく、ボンベの交換作業を減らすことが可能になりました。

 従来は、顧客のガス使用量がリアルタイムで分からなかったため、消費傾向のデータから予測し、ボンベ交換を行っていました。顧客が急にガスを多く使うことも考えられるため、顧客宅に置いてある2本のボンベのうち1本がなくなりそうな時点で交換し、1本を常に予備として残していました。

 自動検針装置「スペース蛍」の取り付け後は、リアルタイムで顧客のガス使用量(= ボンベの残量)が分かるようになりました。これにより、ボンベのガスが2本ともなくなりそうなタイミングで交換できるようになったのです。配送回数が約半分に減り、LPガス物流のエンド部分でコスト負担の大きな部分が効率化されます。

 さらに、ハブ充填基地の稼働に合わせて、高性能カメラや生体認証セキュリティゲートにより、車輌や人間、容器(ボンベ)の情報を自動認証でデータ化し、トレーサビリティを確保しています。これらのデータと自動検針装置の「スペース蛍」から収集するガス使用量データ、物流拠点内の容器在庫データを連携すると、使用に応じた充填やガス生成が可能になります。AI分析で最適な充填計画を算出することで、物流システムのさらなる効率化を狙っているのです。

 そして、リアル業務の動きをサイバー世界で見える化するデジタルツインと呼ばれる仕組み「ニチガスツインon DL注2」をITコンサルティングファームのフューチャー株式会社と共同で開発し、2021年3月から運用開始しています。これにより、LPガス事業に関わるコンベア、充填機、ボンベ及び車輌などの動きや物理的な資産の状況をサイバー空間上に再現し、直接現地に行かずに状態を把握したり、操作したりすることが可能になりました。LPガス事業における製造(充填)、配送、在庫、需要という一連のサイクルから収集したデータをAIで分析し、作業効率を飛躍的に改善することが期待されます。

注2:DLはディープ・ラーニングの略語

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図2:データ連携によるオペレーション最適化の概要
 

3. 業務改革の成果は圧倒的なコスト競争力

 同社は、上記で述べた以外にも次のとおり多くの改革を実施しています。

  1. 配送先と配送ボンベの本数を自動で配送員に割り当て、スマートホン経由で通知

  2. 配送の効率化のために、ナビアプリと連動した最適配送ルートをスマートホンに表示

  3. 顧客の引っ越しや料金未納の際のガス栓の開閉作業をスペース蛍で遠隔実施

  4. ガス機器全ての受発注業務をスマートホンアプリ「タノミマスター」で完結し、ファックスや紙ベースの事務処理を廃止

  5. 顧客に対する検針票についてもアプリ「マイニチガス」で提供し、印刷、郵送コストを削減、ペーパレス化も実現

などです。

 これらの改革の成果は、すでに価格競争力の高い同社のLPガス事業に、さらなる優位性をもたらすことが期待されます。同社の家庭用LPガスの平均販売価格は6,725円と、全国平均価格の7,992円より約21%、関東平均価格の7,400円より約15%安価になっています注3。そして、LPガスの顧客数は、2011年3月の58.7万件から毎年増加を続け、2021年3月には91.8万件と10年間で56%増加しています。

注3:2021年8月時点。どちらも10㎥あたりの税込価格。(出典元:一般財団法人日本エネルギー経済研究所 石油情報センター http://oil-info.ieej.or.jp/)
 

4.システム構築にあたっては他社との相乗りを想定

 ニチガスのDXの大きな特徴は、システムや仕組みの刷新にあたり、他社が相乗りしやすいものを構築したことです。この取り組みの背景には、LPガスの小売事業者が2020年12月時点で全国に約17,000社、同社が事業を行う関東一円には約4,800社もあり、業界全体の効率化のためにシステムや仕組みの共用が不可欠であるという認識があります。

 相乗りできるのは、スペース蛍によるリモート検針、スペース蛍で収集したデータの決済機能や検針システム、保安システムなどでの活用、夢の絆を活用したLPガスの配送や充填、そしてこれらを実現するDXの仕組みなどです。他社は同社の持っているシステムや仕組みのうち使いたい部分を使うことができます。しかも、他社のデータはセキュリティを強固に担保し、認められた者のみがアクセスでき、かつアクセス履歴が改竄できない形で取り扱われます。

 自由化による競争激化によって、LPガスの小売事業者は効率化が待ったなしの状況に追い込まれています。システム構築やガスの充填施設整備という巨額な投資や人材確保という負担なしに事業運営の効率化が期待できるので、実際に相乗りを希望する事業者が出てきています。小売りという部分では競争し、配送や検針という規模の経済性が働く部分では共創することで、同社にはシステムの使用対価という新たな収益が期待できます。そして、相乗り事業者を通じて業界全体の効率アップが見込め、その結果地域社会がエネルギーコストの低廉化メリットを享受するという、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」という三方良しを狙っているのです。


5.    DXの起点は社長のリーダーシップ

 同社のDXに大きなインパクトを与えたのは、JPモルガンとの出会いです。JPモルガンの幹部が全世界の企業情報を手元のiPadで見ていることに、ニチガスの和田眞治社長が衝撃を受けました。この時の衝撃がICTシステム開発の大きなドライビングフォースとなり、「ニチガスツインon DL」に至る各種システムの開発へとつながっています。付け加えるならば、両者は2011年に資本業務提携を行っています。

 ニチガスはDX成功のセオリー通りに、トップである和田社長がしっかりとしたビジョンを持って旗を振っています。大きな構想の実現に不可欠である全体最適の重要性を理解し、そのために必要なICT基盤やシステムの形をイメージできています。このため、業界で相乗り可能なシステム構築に当たっては、世界標準を活用したオープン戦略で行きたいという社員からの提案に対して「失敗を恐れずに挑戦しなさい」とためらわずにGO指令を出しています。

 そしてこれもセオリー通りに、トップのビジョンを具体的な仕組みやシステムに落とし込むことができる、優秀な社員が存在し活躍しています。この背景には、同社の社風や開発スタイルがあります。同社には「同じ成功を繰り返すな」という創業者の残したDNAがあり、失敗した人間にも新たなチャンスが与えられるそうです。このため、新しいことにチャレンジすることに抵抗感が少ないそうです。

 また、開発に当たっては、スピード重視でベンダーを選択しています。しかも、ここは尖っていて良さそうだと感じた場合は、創業間もない実績のない会社でもこだわりなく選んでいます。しかも良いものを本気でつくるための苦労はいとわないそうです。もちろん失敗もあります。でも、スピードが速いので、やり直せば良いと考えるのだそうです。

 このような開発スタイルは、人材が育つ環境として最適です。開発パートナーを見る目が磨かれると同時に、技術的に難しい開発作業に四苦八苦する中で、システム開発に不可欠な構想力と、課題解決の直観力やノウハウが会社にも社員にも身に付くからです。

 同社の経営理念は、「地域社会に対する貢献」「企業の持続的成長を目指す」「人的資源の尊重」です。これらの実現に向けた今後の課題は、集積したデータの活用です。これには人の知的活動の強化が必要です。データ活用に習熟した幹部や社員が増えると、さまざまな場においてより迅速で的確な気付きや理解が得られ、それがさらなるDXのドライビングフォースとなります。同社がこのデータ活用にも成功し、さらなる発展と成長をとげることを心から期待したいと思います。

 

今回紹介した事例

シャープ

オープンなサイバーフィジカルシステムで構築したLPガス配送の共創プラットフォーム - ニチガスのLPG託送

電力や都市ガスの家庭用小売りが自由化されたことによって、エネルギー業界の競争は一段と高まっている。一方で、環境負荷の少ないエネルギーの適切供給など、業界全体で地域社会に貢献することが求められている。ニチガスは、IoTを活用したガスメーターの遠隔検針デバイスの開発と、このデータを活用した物流の全体最適化を行うためのプラットフォームの構築を進めた。…続きを読む

 

 

 

 
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